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Feb 16, 2020

床に転がっていた森美術館の「シンプルなかたち展」の図録の表紙にふと目が留まった。
ハンス・アルプ(Hans Arp,1886-1966)の『鳥』という石の彫刻。黒くて、パッと見、漆のようにも見える。あ、でも、と思う。この物体はどれほど奥へいこうが石の(鉱物の)組成だ。あちら側に突き抜けるまでいったって、そこまではずっと石の組成なんだ。漆だったら表面でしかない。内側は木だったり、布だったり、違うもの。表面の膜でしかない漆。石の揺るぎない物質感に比べれば所詮表面でしかないのか、と少しがっかりもする。
でも、その膜によって内部まで変容したかのような錯覚をも起こさせる漆。そこに目を向けると、脆弱なようでいて、面白い性質が見えてくるんじゃないだろうか。

Urushimediaとしての活動を始めたのは、端的にいえば、漆で作品を作って鑑賞者に見てもらう、また購入してもらうという従来の方法に限界を感じたからです。もっと流動的に、能動的にアプローチしたい。作りたいものも、漆器、漆芸品というような言葉の範疇からはみ出してきました。空間という体験型のものであったり、映像であったり。色んな方向から多角的に漆にアプローチしたほうが漆を伝えることができるのではないか、と考えたのです。

また、現代において漆作家は(陶芸などの工芸全般に言えることかもしれません)、アートなの?工芸なの?という立ち位置に悩まされる場合があります。私もそこにはまり込んだことがありました。でも、こんなに世の中が猛スピードで変わっていくスリリングな時代、そんなところからぽーんと飛び出して、新しいプラットホームを作ってしまえばいいや、と思ったのです。

Urushimediaとしての表現方法は、蒔絵などのように外へ外へと加飾を重ねてゆくのではなく(決して蒔絵を否定しているわけではありません)、漆という素材に拡大鏡で迫っていくようなやり方をとります。生活の中に本物の漆器がほとんどない現代の環境、その中で漆というものを伝えていくには、内へ内へと向かった方が、漆という素材、魅力が見えてくるんじゃないだろうか。そっちの方が強いんじゃないだろうか。そう思うのです。

Urushimedia1 異化する

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Jan 11, 2019

パリのギャラリーにいたとき、「日本には絨毯のお祭りがあるんでしょう?」と聞かれたことがあります。
???と思ったのですが、少し考えてから「祇園祭り」に思い至りました。最近では、山鉾の懸装品である絨毯が世界的に見ても重要なものであるという認識が周知され、NHKでも特集されたりしていますが、以前には意識はそう高くなかったと思います。しかもこどもの頃から目にしているとそれが自然で、背景のようになってしまっていたせいか、「絨毯のお祭り」と言われてもすぐにわからなかったのです。もちろん「絨毯のためのお祭り」ではなく、主役は神様で、絨毯の他にお稚児さんやお囃子などたくさんの要素があるためもありますが。
でも、「絨毯のお祭り」という視点で見てみたら、それはそれでとても面白いのです。
視点をたくさん持つと、それだけ物事を豊かに見る事ができます。感性の平野が広がるようです。

そんなこともあって、日常を異化するという視点をいつも持っていたいと思っています、とりわけ漆に関しても。
京都にはたくさん漆関係の老舗があります。私自身は、漆家業の家に生まれたわけではありません。外からこの世界に飛び込んだ者として、その世界の内側にいると見えなくなってしまうものを大切にしたいと思います。
例えば、塗師は漆黒という色一つにしても彩度や明度の違い、艶のあるものからないものまで、10段階ほどを見分けることができます。すごいことですが、それは塗師にとって自然なことなのです。
この、片方の世界の者にとって自然だけど、もう一方の世界の者にとっては自然でないこと、この距離感、この差異がミソだと思うのです。また、見慣れている作業中の漆の姿、ルーティーンになってしまうとどうってことないかもしれないけれど、実はハッとするほど美しい姿を見せてくれる瞬間がたくさんあります。
こういうことをUrushimediaとして伝えてゆきたいと思っています。漆というものへの人々の認識が少しでもVividになることを願って。